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zoom RSS 父が亡くなりました

<<   作成日時 : 2012/01/09 12:20   >>

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去る1月5日、父が亡くなりました。73歳でした。

昨年春頃から急に痩せてきて周囲からおかしいんじゃないかと言われても当時かかりつけの病院の血液検査では異常が見つからなかったため、問題ないと本人は別の病院で検査を受けようとはしませんでしたが担当医が変わったのをきっかけに別の病院で検査を受けたところ、食道癌と診断されました。9月末の事です。

10月上旬に治療方針について両親と私・妹が担当医と面談しましたが、癌の進行はステージ4という末期の状態でリンパ節などに転移が確認され、手術では取り除けない状態でした。
治療法としては化学療法しかありませんが、完治は出来ない事、また化学療法を行うと白血球数も減少し体の抵抗力が落ちるので持病の間質性肺炎の悪化、もしくは肺炎を併発すると救命は出来ないという危険性があるとのことでした。
よってリスクを承知で化学療法を行うのか、癌の治療は行わず、痛みなどを和らげる対処療法にするのかどうか家族でよく相談してくださいと言われました。

私は化学療法はかえって寿命を縮める結果になる恐れが高いから反対でしたが、父は何もしないで死を待つのは嫌だと化学療法に踏み切りました。

一回目の化学療法では痩せてきたのと同じ頃から悩まされていた酷い腰痛が消えた様で喜んでいましたが、肺の状態が悪くなっていると先生に言われているのに二回目の化学療法も行い、12月21日の退院直後から食欲もなく、息苦しくてあまり眠れない状態が続いていました。

それでも数年前から習っているPCのウイルス対策ソフトの更新手続きをやってくれと言ってきたりと、いろいろとやる気はあったようですが正月頃から具合が悪くなり、3日に入院となったのですが、通院の連絡も父がやっていましたし、入院となって病室に移ってもTVカード買ってきてくれとか家から時計持ってきてくれ等、相変わらずの調子で何とか持ち直してくれるんじゃないかと思っていました。
しかし恐れていた肺炎にかかっており、翌日昼前に母から危篤と連絡がありました。

会社を早退し病室にかけつけるともう昨日とはうって変わって状態が酷くなっており、意識はありましたが息をするのが精一杯で話が出来る状態ではありませんでした。
母と弟が病院からの連絡で9時頃にかけつけたときにはまだ結構話が出来る状態だったようですが時間をおくごとにみるみる衰弱していった様です。
その後妹も到着し、家族全員そろったのを確認後、鎮静剤の点滴を開始して眠りにつきました。

今晩もつかどうかだと先生から言われましたが、翌5日11時7分眠ったまま逝ってしまいました。
一旦自宅に戻っていた弟がかけつけるのを待っていたかのように弟到着直後の事でした。

化学療法を始めてわずか一ヶ月半。あまりにも、あまりにも早すぎる別れでした。でも最期は苦しむ事なく、丸一日ゆっくり眠れたし、家族全員に看取られただけ良かったかな。

せめて化学療法を一回でやめておけばと思いましたが、父のやりたいようにやった結果なので本望だったと思います。

せっかちで口やかましく、人のものを勝手に捨てるだとか服のセンスがとんでもなくおかしいとか嫌なところは沢山あったけれども、気が良くてとても優しい父でした。今まで本当にありがとう。

でもこの「今まで本当にありがとう」という言葉、あの状況でも必死で頑張っている父の姿を見ると、言えば父がこれで最期なのかと悟ってしまうんじゃないかとためらってどうしても言えませんでした。
それで良かったのかどうか、今はまだよく分かりません。
でも鎮静剤を打って眠っているときに話しかけた言葉が聞こえてくれていたらいいなと思っています。


全くもって頼りない喪主でしたがなんとか葬儀も終わり、ようやく一息ついたところです。
父の死からまだ日の浅いこの時期に記事をアップするのもどうかと思いましたが、記憶が定かなうちに残しておきたくて書きました。

しばらく更新はお休みします。

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
もっと前にこの記事を拝見していたのですが、
何とお声かけをしてよいか分からず、今になってしまいました。
以前お父様の入院のことを書かれていて、
何かご病気をされているのは分かっていましたが、
まさかこんなに大変な病状だったとは思いもしませんでした。
お父様は病気に立ち向かい、最後まで闘っていたのですね。
お父様のご冥福をお祈りいたします。
AG
2012/01/23 21:51
AGさん
お心遣いありがとうございます。
本当に急なことでこれまでろくに親孝行も出来ず後悔しきりです。

おかげさまでだいぶ落ち着いてきました。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
T2000
2012/01/24 01:03
URLありがとうございました。

私の父も発覚したときには、ステージWでした。
同じく、その時点では、手術は無理と言われ、余命2年と言われていました。
本人は、余命の事まで知らなかったので、化学療法で癌を小さくしてから手術が出来ると信じていましたが、結局発覚から半年で亡くなってしまいました。
最後、鎮痛剤の点滴をするともう逝ってしまうと思うと、判断に悩みましたが、ゆっくり休ませてあげたくて決断した感じです。
父の場合は、最期少し意識が戻ったようでしたので、看護婦さんからも「耳は聞こえていますから、沢山声をかけてください」と言われ、ギリギリの所で直接「ありがとう」と言うことができました。
きっと、お父様も眠りながら聞こえていたと思いますよ。

うちは、最期看取る時は、弟が一旦家に帰ってる間でしたが、T2000さんのお父様は家族全員に看取られて幸せだったと思います。

この日記を読んで、自分の時と重なり、涙がなかなか止まらず、なかなかコメントできませんでした。すみません。
まだまだ、寂しさがこみ上げる時期だと思いますが、気を落とさないようにしてください。
お父様のご冥福をお祈りいたしております。
みほだっく
2012/01/24 15:52
みほだっくさん お心遣いありがとうございます。
みほだっさくんのお父様はまだお若かったですよね・・・。

私の父は73歳でしたから、癌でなかったとしてもいつかこういう日が来るだろうけど、それはまだ先のことと思っていました。
癌が発覚し化学療法を始めてからも、ついこの間までクルマで出かけていたりしていて少し安心していたのですが元々肺が悪く、抵抗力も落ちていたためか嚥下障害がきっかけで誤嚥性肺炎を発症してしまいました。

みほだっくさんのように意識のあるうちに「ありがとう」と伝えたかったけれど、最期まで決して諦めない父の姿を前にして言えませんでした。
鎮静剤を点滴開始後、母は病室で泊まる準備をするため弟達と一旦自宅に帰ったので父と二人っきりになり、今まで素直に言えなかった事などをいろいろと話しかけていましたが、父が元気なときにこういった時間を過ごすことが殆ど無かったことが悔やまれてなりません。本当に無愛想でダメな息子でした。

やかましかった父の声が聞こえなくなった我が家がこんなにも寂しいモノなのかと今しみじみ感じています。
この喪失感はなかなか癒えるものではありませんが、頑張っていきます。
ありがとうございました。
T2000
2012/01/25 01:17
ゴメンナサイ。今日この記事を読み知りました。
とても辛かった事でしょう。
お父様のご冥福お祈り致します。
鯨子
2012/03/06 19:37
鯨子さん
ありがとうございます。
本当に別れは突然やってくるものなんですね。
父の死をきっかけにいろいろ考えさせられました。
それをふまえて悔いの無い日々を過ごせるよう頑張っていこうと思います。

これからもよろしくお願いいたします。
T2000
2012/03/06 23:58

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